平成30年度 八代高校東海同窓会日帰り交流会のご報告

奥浜名湖と蒲郡のミカン狩り

八代高校東海同窓会は、快晴の10月20日に総勢26名が参加して、静岡県の奥浜名湖の龍潭寺、方広寺、竜ヶ岩洞、蒲郡でのミカン狩りなどをめぐる日帰りの交流会を実施しました。

午前8時30分にJR名古屋駅を出発。ひたすら新東名を走って、バスは静岡県奥浜名湖の龍潭寺に到着。車中(後部)は早くも宴会状態で、着いた時には、赤い顔して「トイレ・・・!」と叫びながら下りてくる始末。ここで、静岡からの参加者6名と合流。昨年の大河ドラマの「おんな城主 直虎」で一躍有名になった井伊家の菩提寺の龍潭寺を見学、小堀遠州作庭の裏庭をじっくり鑑賞しました。そのあと、奥山方広寺に回り、堂々たる伽藍に感動するとともに、少々早い紅葉を満喫しました。キジ亭で昼食を採り、キジの味に舌鼓を打ちながら、しっかりと参加者の懇親を深める機会もありました。その後、竜ヶ岩洞で石灰岩と水の流れが作り出した悠久の時の流れに感激して、再びバスで、蒲郡へ。バスの車中は、大ビンゴ大会に変貌。景品は皆さん各自が差し入れされて、全員に必ず当たるというので、車中は大いに盛り上がりました。蒲郡では、オレンジパークでミカン狩り。黄色く色づいた早生の甘いミカンをたらふく食べ、お土産に籠いっぱいにぎゅうぎゅう押し込んで大満足。親戚にミカンのお土産を送る人もいたり、お店でさらにミカンジュースをお腹に詰め込む人もいたりして、バスは、蒲郡駅へ。

静岡からの6名がここで下車、電車で静岡方面に向かいます。

名古屋から参加の皆様は、その後に蒲郡でさらに、せんべいとちくわの共和国で、お土産をまたまた買い込みました。名古屋への到着が18時。今回は、盛りだくさんの内容で、普段なかなか足を延ばすことのない奥浜名湖を十分に堪能するとともに、皆さんとの交流を深めることができ大満足の旅でした。

交流会幹事 田副 直樹

(文中の龍潭寺、方向寺、竜ケ岩洞が太字になっています。そこをクリックすると、それぞれのホームページにリンクしますのでお試し下さい。)

バス後部ではすでに盛り上がって          龍潭寺の山門

方広寺本堂遠景

方廣寺 亀背橋                小堀遠州作・龍潭寺庭園

龍潭寺庭園               八分間まじめに庭園の説明を聞く

方廣寺  三重塔             何に見入っているのか

龍澤寺 本堂 うぐいす張の廊下      竜ケ岩洞内の坂田会長

竜ケ岩(し)洞の入り口で

蒲郡オレンジパークミカン狩り        美味しかったよ

めいっぱい籠に詰めて さすが・・・ 日頃の訓練のたまもの

愛知大学第10代学長の「浜田 稔」先輩について

 浜田 稔先輩は、昭和20年3月に旧制八代中学を卒業、名古屋大学(旧制)で法律を学ばれた後、愛知・静岡両県の大学で教鞭を執られ、昭和36年に愛知大学に就任された学者(民法)です。

 愛知大学では、法社会学の研究者として「農山村・漁村での相続や生産共同組織や漁業権、そして入会権や温泉権の調査や判例等」の研究を重ねる一方、教壇で民法全般にわたり学生の指導に努められました。

 1984年4月から1987年9月まで、第10代学長として建学の精神である世界文化と平和への貢献、国際的教養と視野を持った人材の育成そして地域社会への貢献に寄与されました。

 以下、愛知大学卒業生お二人の「先生の思い出」をご紹介します。

(浜田 稔先生の思い出)

1  学生時代はいつも一杯飲んで一緒に歌っていました。卒業後、東海熊本県人会でも一緒する機会がありました。その時にも先生は、よく飲み、歌い、そして大声で話をしておられました。専門の法律以外の話題も豊富で、話が次から次に出て終わりがなかったことを覚えています。

(八高16回卒 MM )

 当時は大学紛争真っただ中でしたが、浜田ゼミは休講がありませんでした。ある日、松葉公園(愛知県豊橋市内)の飲み屋で懇親会がありました。会場では、いつものように激論とお酒の飲み比べでした。

この日も最後まで会場に残ったのは、先生とTH君と私の3人だけでした。帰ろうと思って立ち上がったのですが、気付いた時には先生の背中におんぶされていました。私は、余りの気持ちよさで先生の背中で眠ってしまいました。

翌朝、目が覚めたらTH君の下宿でした。彼の話では、先生におんぶされて約600m先の豊橋駅に行ったのですが、すでに最終電車は出発していたそうです。先生にお詫びに行きましたが、笑って「よく飲んだな!」の一言でした。

愛知県に生まれ育った私が先生を通じて知ったことは、九州男児は「酒に強い」「力が強い」そして「優しい」ということでした。今でも忘れません。

                       (昭和46年愛知大学卒 HN)

 東海地方と故郷八代の深い結びつきの一つとして掲載しました。

八代高校東海同窓会 副会長 松田冨博

初めての投稿です

ホームページの作成有難うございます。楽しみにしています。

(16回生 竹之内 睦子)

孫と小田原城へ行ってきました(15回生 村田)

10月1日(月)、横浜にいる孫娘と小田原城に行ってきました。

八高ではなく、八代1中35年同期会東京大会が9月30日~10月2日の計画で開催されるはずでしたが、台風24号のおかげで中止になってしまいました。ところがその中止の連絡が私にだけ来なかったのです。間抜けな私は確認することもせずに、のこのこと満員の新幹線で東京へ。身動きも出来ない立ち続けで1時間40分、疲れ果てて集合場所に行ったら誰もいない!! 幹事に電話してやっと中止されたことを知りました。30人の中学同期生と会えるはずでしたが残念! しかし、北海道から来ていた同期生もおり、地元東京・横浜の同期生が6人集まってくれて合計8人で横浜で会食して楽しい時間を過ごすことができました。30日はホテルの予約もキャンセルされていたので、横浜の娘のところに泊まり、孫娘と9ヶ月ぶりに会うことが出来ました。

あっつ!地震だぁ! 名古屋震度3。震源地長野南部(10:14)

翌1日は台風一過で快晴。帰り道でもあり娘と孫の3人で小田原城に行ってきました。小田原城は初めてで、内部の展示も充実しており、天守閣から海を望む展望もよく、孫とも十分接触できて満足した半日でした。 15回生 村田 護

 

ヤツシロソウについて

トップページの写真として掲載した「ヤツシロソウ(八代草)」についてご紹介します。
八代の人や八高卒業生はご存知のはずと思っておりましたが、意外と「知らない」という返事が返ってきます。
ヤツシロソウはキキョウ科ホタルブクロ属の多年草で、自生の花期は7月~9月。朝鮮半島や中国東北部、シベリヤ東部に分布し、かって大陸と日本が地続きだったころ南下した大陸系遺存植物だそうで、現在自生のヤツシロソウは日本では阿蘇外輪山、久住の草原で見られるのみです。八代で発見されたのでヤツシロソウと命名されたそうですが、現在八代に自生はありません。土地の名前が植物の正式和名になっているものは非常に珍しいのです。そこでヤツシロソウは「八代市民の花」とされています。2008年(平成20年8月に合併3周年を記念して「市民の花」に指定されたそうですが、じつは1970年(昭和45年)9月に市政施行30周年を記念して「市の花」に制定されていました。因みに現在の「市の花」は「さくら」です。市のホームページには 「やつしろ草は八代の名を冠した貴重な植物であり、市民のみんなで育て、大切にしていく必要がある草」と書かれています。「市の花」と「市民の花」 どういう位置づけの違いがあるのでしょうか。
ヤツシロソウは絶滅が心配される絶滅危惧1B類に属する貴重植物です。八代市二見洲口町の蓑田澄雄さんという方が、35年前から畑で栽培されはじめ、今では年間600株を栽培され、市民に普及しておられるとのことで、私も4、5年前蓑田さんを訪ね、苗を5株頂いてきました。庭に植えて3年は花が咲いたのですが残念ながら害虫にやられて全滅しました。写真は最後に咲いたものです。名古屋は暑くて高原植物であるヤツシロソウには苦手な土地でもあるようです。(村田)