史跡紹介・「御小袖塚」

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 誰の故郷にもそのまちの物語や歴史があります。私たちはそのことを後世に引き継ぐ義務があると思います。
 1336年足利尊氏の反旗で建武の新政は崩壊しました。翌年、後醍醐天皇はわずか8歳の懐良親王(かねながしんのう)に九州を平定・上洛して尊氏を倒す役目を与えられました。別れに際し、後醍醐天皇は不憫に思われ、九州に発つ懐良親王に小袖を形見として与えられました。
 命を受けた懐良親王は九州山川港に上陸され、八代にご両親を偲び、菩提を弔うご陵墓を造り、形見の小袖を埋められました。その地は毎年11月22日、23日に開催されるユネスコ無形文化遺産の「妙見祭」主会場の八代市妙見町にあります。
 平成28年夏、岡山元紀氏(前八代高校同窓会会長)が現地を見に行かれました。ところが五輪塔は傾き周りの石垣は崩れ落ち、由来が書かれた説明版は文字が判読できない状況でした。
 惨状を目の当たりにした岡山氏は、八代史談会、商工会議所等に協力を求めると共に、地元町内会と共同して整備運動を起こされました。その結果、令和3年12月立派な「御小袖塚(おこそでづか)」が復元しました。
 この間、県内外の人に整備活動を呼びかけられたことにより、八代市民始め多くの人達が、この御小袖塚を知ることとなりました。
    副会長 松田 冨博

追伸 この記事は、令和4年3月発行の東海熊本県人会会報Vol.25に掲載されたものを県人会の許可を得て転載したものです。

史跡紹介・「御小袖塚」」への1件のフィードバック

  1. 「御小袖塚(おこそでづか)」の由来、碑の復元の状況が目に見えるようです。また、新しいお話の投稿をお願い致します。

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