愛知大学第10代学長の「浜田 稔」先輩について

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 浜田 稔先輩は、昭和20年3月に旧制八代中学を卒業、名古屋大学(旧制)で法律を学ばれた後、愛知・静岡両県の大学で教鞭を執られ、昭和36年に愛知大学に就任された学者(民法)です。

 愛知大学では、法社会学の研究者として「農山村・漁村での相続や生産共同組織や漁業権、そして入会権や温泉権の調査や判例等」の研究を重ねる一方、教壇で民法全般にわたり学生の指導に努められました。

 1984年4月から1987年9月まで、第10代学長として建学の精神である世界文化と平和への貢献、国際的教養と視野を持った人材の育成そして地域社会への貢献に寄与されました。

 以下、愛知大学卒業生お二人の「先生の思い出」をご紹介します。

(浜田 稔先生の思い出)

1  学生時代はいつも一杯飲んで一緒に歌っていました。卒業後、東海熊本県人会でも一緒する機会がありました。その時にも先生は、よく飲み、歌い、そして大声で話をしておられました。専門の法律以外の話題も豊富で、話が次から次に出て終わりがなかったことを覚えています。

(八高16回卒 MM )

 当時は大学紛争真っただ中でしたが、浜田ゼミは休講がありませんでした。ある日、松葉公園(愛知県豊橋市内)の飲み屋で懇親会がありました。会場では、いつものように激論とお酒の飲み比べでした。

この日も最後まで会場に残ったのは、先生とTH君と私の3人だけでした。帰ろうと思って立ち上がったのですが、気付いた時には先生の背中におんぶされていました。私は、余りの気持ちよさで先生の背中で眠ってしまいました。

翌朝、目が覚めたらTH君の下宿でした。彼の話では、先生におんぶされて約600m先の豊橋駅に行ったのですが、すでに最終電車は出発していたそうです。先生にお詫びに行きましたが、笑って「よく飲んだな!」の一言でした。

愛知県に生まれ育った私が先生を通じて知ったことは、九州男児は「酒に強い」「力が強い」そして「優しい」ということでした。今でも忘れません。

                       (昭和46年愛知大学卒 HN)

 東海地方と故郷八代の深い結びつきの一つとして掲載しました。

八代高校東海同窓会 副会長 松田冨博

愛知大学第10代学長の「浜田 稔」先輩について」への1件のフィードバック

  1. 浜田 稔先輩はご健在なんですか? 90歳代になられているはずですが。

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